気を抜くと、涙が出そうになります。
どんなにアッパーな曲を聞いても、盛り上がらない気分。
栞菜の時は、お袋の葬式を思い出しました。
もう二度と会えない。願っても願っても見ることもできない。声も聞こえ無い。そんな感じで。
今回の梅さんは、そう、かつての恋の別れを思い起こします。
僕よりも夢を追っかけていった人を。はい。
また会える。でも、自分たちが前へ進むため絶対の決別を選択した。
(現実はドロドロしてましたが、今はそう思えたりするイイ思い出感。んな話はいいとして)
とはいえ、耐えようも無くデカイ心の穴は、ふさぐ術もなく、ただ気を張ってるしかないわけで。
明るく門出を見送ってやらなきゃいけないのは、いっしょなんだけど。
やっぱり悲しい。
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思えば、梅田えりかを最初に認識したのは、ZYXだったと思います。
2002年、自分は在宅でした。
ミニモニ。が高橋加入>矢口卒業というグダグダな終焉を迎え。
タンポポの解体再編。後藤の娘。卒業。プッチモニの事実上の活動停止。
まぁ要するに一連のハロマゲドンによって、自分のハローへの熱量がぐんぐん下がっていった時期でした。
それはネット界隈もそうで、ファンサイトに勢いが無くなっていった時期でしたね。
まだWは誕生しておらず、6期も加入前。
それ以前に、5期オーデ特番が滑ってたというのが、熱量を下げはじめる要因だったんですけど。
むしろ、自分の興味はミキティあたりにシフトしてたりしてて。
そういえば、「めちゃイケ!」が娘を扱ってたのは、この時期あたりでしたね。
要するに旬が終わりつつあったのです。
ゆえに、「ハロモニ」はかなりずっと見てませんでした。本気でつまんなくて。
だからキッズオーディションでの、マイマイの「つんくとかいて楽しかった」という爆弾発言を、生で聞いてません。
いいけど。
というわけで、僕がハロプロキッズを、ありていに言って梅田えりかを認識したのは、ZYXのハズです。
2003年になりますね。
うーん、記憶が定かじゃない。
他にメディア露出してたのは映画「仔犬ダン」くらいだから、自分が見たのはZYXだろう、と。
ハロマゲドンあたりで興味を失い、ミキティだけをとっかかりにモー娘。をチェックしてたのですが、
あの逸材っぷりはまったく活かされず、毒気を抜かれた抜け殻を見ても、心は弾みませんでした。
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ZYXを最初に何で見たのかは、ちょっと定かじゃないんですが、
まぁPVをCSかなんかで見たんでしょうけど。
梅田えりかの高い身長と、なんつーか、このバタ臭い容姿に、目を惹かれてしまったのです。
矢島も、メグも、桃子も視野の外で。
唯一、(後の)キャプテン清水さんの、なんともいえない困り眉毛のお猿さん顔がかわいいかも★とか思ってたり。
あと、あぁ!もこの頃の活動でしたね。
要するに、すっかりキッズ(Berryzが結成されるまでは、キッズという名称認識もしてなかったような気もしますけど)ヲタになってたのです。
つうか、その頃の自分はハローよりもU-15業界にどっぷりだったので、アレですが。
というわけで、ほどなくBerryz工房結成。2004年のこと。
グループに梅田えりかの名はなくて、すごく残念でした。あんなに美人さんなのに、なぜ世間は認めない!と憤ったり。
新聞にあったアップフロントスクールの広告に卒業生として写ってた梅さんを見たのは、このころだったかなぁ?
そこから、時は流れます。
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このブログの一番最初に書きましたっけ。
さいたまスーパーアリーナの「まっさらブルージーンズ」の衝撃。
℃-uteというグループの存在。
梅田えりかを認識。つか、しばらくは℃-uteとかいいつつ、梅さんしか見てなかったのよ、本当。
2006年春。
梅田えりかをとっかかりにした、僕の℃-uteへの旅がはじまっちまったわけです。
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